【OJT オンザジョブトレーニング】

新入社員時代のOJT

 私が、百貨店に新入社員として入社したのは1992年のことでした。バブルがはじけ、景気の後退が始まる、いわゆる失われた20年の最初の年だったと思います。

 その時の百貨店は思いの外、体育会系のノリのようなものがあり、上位者の指示は絶対でした。思い返すと、今なら笑い話みたいな事が沢山あります。私の思い出の中では、そんなおかしな時代です。

 入社同期同士が集まると、売場で自分の考えも言えず「言われたことだけやってろ!」みたいな雰囲気で「俺たち奴隷みたいな感じだよな」と誰かれとなく言います。「いやいや、奴隷ならまだ人間だろ、奴隷が使う家畜だよ」「早く人間になりたいな」「俺たち妖怪人間かよ」なんて話しながら、頑張ったものでした。

 業務の遂行に関しては、そのほとんどがOJT。現場に丸投げのような教育です。

 「流通なんだから、物が動くのが当たり前。その動くところに居合わせて、しっかり実感するように!」と言われ、毎日、着荷する荷物の裁きや、検品してショップの倉庫に整理して格納したり、江東区有明方面に所在する倉庫業務が中心のスケジュール。

 各ショップのスタッフさんが、中々姿を見かけないので、辞めたかと思ったなんて声を掛けられるような日々です。

 婦人服売配属も、全く予想していなかったので、アイテム名から覚えるような始まり。もちろん、スカートの中からプライスを外に出すような作業するのにも、顔が赤くなるような気持で行っていました。そんな新人です。

 月に数日売場勤務があると、エスカレーター前でそのほとんどの時間、声出し業務。「大きな声で元気よくな!」なんて言われて、ずっと続けて頑張っていたにも拘らず、少し疲れて声が途切れると、なぜか後ろから先輩が、「休んでるんじゃないよ!」の喝がはいります。

 なんで私のインターバルの時間が分かるのか不思議です。ヘトヘトになるという毎日。これはこれで当時は辟易したものです。

 たまの多客日に売場にいると、「百貨店の社員のいいところは、ショップだろうが平場だろうが、どこでも接客できるところ。派遣で来ているスタッフさんは自社商品しか紹介しないからね。そういう意味では、トレンチコートをご要望しているお客様にショップの枠を超えて、どのブランドのものでも比較してお買い上げ頂けるだろ」とその先輩。

 そしたら、その先輩、「今日は集客見込めるから、お前の今日のノルマ10万な!」と指示が来ます。

 毎日、ラック運び、パッキン整理、倉庫業務、声出し中心で過ごしているのに、急に接客しろって、なんてOJTだ!と強く思います。それでも体育会系、服従なんですよね。なんの接客技術も教えてもらっていません。

 「みんなが売っているのをよくみて、やってみろ!習うより慣れろだ!」と言うのです。でも良い時代だったのかと思います。熱意のみの接客でお客様の方が理解してくれていたのですから。今思うとその時代に私に接客されたお客様には、感謝しかないですね。

 とにかく当時の私の商品知識では、納得性なんてなかったと思います。私にとっては、緊張の連続の接客。ショップスタッフさんの隙間に入ってファーストアプローチをするのですから。

 所属は、OL通勤とカジュアルのカテゴリーの売場でした。お客様は銀座や有楽町、丸の内のOLさん。確かその日は50%くらいの達成率だったかと記憶しております。

 先輩は、閉店後にただ「よくやった」くらいの反応でした。そんな乱暴なスタートが私の社会人新人時代です。

 こうした事もあってか、業界の知識をどん欲に求めるようになります。リテールの原理原則、商品知識、VMD理論の基本、販売技術の基本、サービスマインドなど物販に関わる知識全般。

 渦の中にぶち込まれたような、私のOJTは正しく機能したのか分かりません。ただその後、学ぶことのきっかけであったことは間違いないです。

 プロフィールにもかきましたが、夜間のビジネススクールに行けたことなんかは、今思ってもいい経験。機会に恵まれました。

 ファッション業界での、基本に忠実、正しい知識、実践の知識など更新すべきは更新して、常にマーケットに向き合おうと思っています。

 時代に、マーケットに効果的な動きができれば、良い結果を獲得できると思います。そんな私のこの業界のスタート時点の話です。

 ちなみに、入社すぐの研修後、所属発表があり、私が人事から売場に連れていかれた時、売場の別の先輩の初めての私への声掛けは、「今忙しいから、あっち行ってて」でした。もちろん引率の人事立ち合いの中で。荒い扱いですよね・・・

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