【十数年前の自分の論文 】
書類を整理していて
昔の書類を整理していて、30代の頃に書いた論文を見つけました。
論文といっても会社に提出したものです。読んでみると、あのころすでに今主張していることと同じことを主張し、書いています。
三つ子の魂百までなんて言葉がありますが、駆け出しのころ習った小売りに対する基本姿勢は維持するのでしょう。
地域特性
その中で、地域特性をよく考えるべきと書いています。皆考えているのが前提なので、自分ながら生意気な主張です。
当時、専門誌でよく使われた「地方でも売れる」とか、「売れない店でも売れる」とか、そんな言葉でもてはやされたブランドがありました。
専門誌にその記事があると、私のいた支店ではすぐにでも導入しようと意見が出ます。それを私は否定的にとらえて書いています。
支店は東京23区の端にありました。その下町ならではの地域特性を考察すべきと主張します。
20分程度で本店型のMDを直ぐ見られたり、家族や友人の情報もそうした環境下にあるのに、どうして地方で元気と聞くとそのブランドを導入しなくてはならないのか?そう疑義を挟みます。
ファッションに使えるお金額も異なるだろうし、お店の今あるMDと親和性が少ないと。
専門誌の言葉を信じて物を見ない
次に物を見ないことを心配する記述があります。
30歳そこそこの私が上司が読む論文に大胆にも専門誌の好調記事に踊らされ、物も見ずに色々判断しない方がいいと主張しています。
プライスラインについても、私の周囲ではと前置きし、低価格の方がお客様を沢山呼べるという声が多いが、本当のリーズナブルは商品の質と連動するもだ、とも。
価格に見合った質ならその価格は当たり前。
価格以上の質でリーズナブルと呼ぶのだから、低価格というプライスラインだけで歓迎すべきでないとの主張です。
今でも「質と価格のバランスが取れているのか、物をしっかり見るべし」そう言い続けています。
出張先で見た、その地域の百貨店の良いところは真似たい
出張で、岡山、広島、福岡に行ったとき、感心させられた事が書いてあります。
一つだけ例を挙げると、具体的には福岡にある岩田屋。
もう十数年前ですので今の岩田屋ではありません、かつての古い方の建物の時の話です。
食品売場にスタンド看板が出ていて、「ミセスの婦人服フロアは4階にございます」という内容であると指摘しています。
自社でも食品売り場に同様のスタンド看板を立てるべきだと記載。
そう、その根拠の為に当時は拾いづらく、時間ばかりかかる買い回りデータを拾い、食品フロアと私が担当していたミセスフロアの4階の買い回りが多いことを立証して指摘しています。
また、同様に買い回りのあるカテゴリーをプロモーションでどう関連付け、利用するかを具体的に例を挙げています。関わる売場がそれぞれ利益を得る、魅力的な店作りへの提言です。
きっと読んだ上司は面倒で、調整事が増える提案ばかりだと辟易したのではないかと推量します。
ただ、あれから15年以上経ち、カテゴリーミックスで訴求し、買い回り促進するなんて当たり前になっています。
本店だけの勤務なら見逃していた
私が書いたものと言いながら、色々書いて主張する論文です。
ところどこでは批判的に、ところどころでは提案。もちろん論拠としてのデータもついています。
私が習った基本となるリテールの原理原則に基づいての記述です。
その中に「銀座の本店だけで働いていたら、地域の百貨店の取った手法を懐疑的に感じたかもしれない」と、多少なりとも見識・知見の広がりが出てきたのは支店勤務のおかげだと記しています。
「この会社でしか通用しないとか、ここだけでしか業務ができないとか、ここでしか働きの成果を出せない」というような不自由な働き方を嫌がっています。
ポンコツサラリーマンにはなりたくないなという思いがそう書かせたものだと、述懐できます。
資料整理で過去の自分の姿を見ました
情熱にあふれた、活きの良い主張をするものだと、過去の自分をほめたくなりました。ただ、文章が下手で読みづらい。まぁ今でもそうなのですが。